ごあいさつ

ごあいさつ 

國松久永(くにまつひさなが)写真左

私は、牧師になる前は、長い間、中学受験専門の進学塾の講師をしていました。その後、中学受験専門で、家庭教師を行っておりました。教えることが好きで、長年、中学受験に携わり続けていました。そんな私に、今度は、牧師になるというチャレンジが与えられました。

妻が先輩牧師で、私はそんな姿を見る中で、牧師の道に進むことになってしまいました。皆さんと共に聖書を通じて、神さまの伝えたいことを共に学んでいきたいと思います。
因みに、私の好物はカレーライスです。1日3食ともカレーでも平気な私です。

國松裕子(くにまつゆうこ)写真右

1964年12月東京葛飾区下町生まれ。

7歳の時、近くにあった教会に豆カード欲しさに行き始める。14歳で洗礼を受け、私のために十字架にかかって下さったイエス・キリストのために生きよう、伝道者になろうと決心する。が、波乱万丈の人生を過ごし、22歳の時、伝道者になるのを断念し、主婦になる。

2人の子と1人の里子の子育てを終えた44歳の時、30年前の祈りが応えられ、再び、伝道者になりたいと思いが与えられ神学校(東京聖書学院)に入学。48歳で牧師になる。

2013年から山形県楯岡教会に4年間。2017年から千葉県佐原教会に4年間。2018年から小見川教会、2021年から成田教会2つの教会に牧師として遣わされている。美味しいチョコレートとおいしい珈琲が大好き!

私が教会に来たキッカケ

T.Wさん(男性)

 私はいわゆるクリスチャンホームという環境の中で幼い頃から神にふれ、また両親の信仰を目の当たりにし、何の抵抗もなく幼少期を過ごしてきました。

〝そろそろ洗礼を考えてみてはどうですか?〟という牧師からの勧めに対してもあえて断る理由が見当たらず、中学2年生のイースターに洗礼を受けました。そのように救いに至るまでの試練や葛藤などを知らない私でしたが、洗礼後直ぐに信仰を試される事件が起きました。

 それは、父が勤めている会社の〝倒産〟です。学生時代に洗礼を受けた父は、日曜日には欠かさず礼拝に出席をしていましたが、思い返すといわゆる〝サンデークリスチャン〟と呼ばれる日曜日に教会に行き礼拝を受けることで信仰者としての満足を得ていたクリスチャンでした。

「金の切れ目が縁の切れ目・・・」のことわざの如く会社の倒産後、役員であった父の下から多くの人が去りましたが、最後まで親身になって心配してくれた方の大半がクリスチャンでした。そして父は、それらの人を通じて神の愛の深さを知り、50歳を過ぎてから神学校に通い自分が受けた愛を人に伝える牧師になる道を選びました。(しばらくは負債の処理と会社再建のため、働きながら通学していました。)

 また、母も父の転身を応援し、我が家はその時から新たなクリスチャンホームとしての歩みを始めました。地位やお金、人間関係など失ったものも多々あったと思いますが、〝倒産もまた神の恵みだった・・・〟と語り、生き生きとした父と母の姿を見た時に、それらのものよりはるかに勝るものがあるということを確信しました。

 私自身もその時から、神の愛の中に生かされていることに感謝し、その神に身を委ねつつ歩む信仰を持つことが出来ました。 そしてその思いは、48年の歳月を経た今でも変わることはありません。

K.N.さん(女性)

「イエス様との出会い」

 1991年、夫の転勤により、家族でハワイ・ホノルル生活が始まりました。

 地上の楽園と呼ばれる素晴しい環境の中、12才と5才の息子の子育てや家事、合間には英会話やテニスと忙しくも楽しい生活をおくっていまし た。そんな折、テニス仲間の一人に教会へ誘われ、初めて礼拝に出かけて行きました。

 ホノルル・クリスチャンチャーチの教会堂に入ると、聖歌隊が賛美をしていて、その美しい響きに心奪われ、涙が溢れ出て止まりません。戸惑いながらも不思議な安堵感に満たされていきました。

 私は過去のつらい経験から死について考えるようになり、自責の念にさいなまれる事もありましたが、心の奥底に秘めていました。賛美を聞いているうちに心に温いもの染み透ってくる感覚は忘れられません。

 英会話の先生がクリスチャンであったことから家庭集会に導かれ、聖書を学び始めました。

 礼拝説教を通し自分の愚かさ、罪深さを示され、イエス様が十字架にかかられたのは、私の罪のため、その罪が赦されるためであると知りました。

 神様の愛を信じて生きていきたいと、受洗の恵みに与かりました。

 まだまだ足りない者ですが、イエス様の足跡をたどり、歩んでいきたいと願っています。

「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3章16節

E.Kさん(男性)

 わたしが信仰を持ったのは中学2年生の時でした。ある晩、教会で特別伝道集会が開かれたので母と一緒に出ました。牧師は、ゆっくりとした口調で、分かりやすく神の愛を語ってくださいました。

 牧師の話は、「神は独り子イエス・キリストを、この世に送って下さったほど、私たちを愛して下さった。すべての人の罪を負って、イエス・キリストは十字架にかかってくださり、復活して私たちに永遠の命を与えてくださった。だから罪を悔い改めて、一生イエス・キリストに従って行きなさい」というものでした。

 わたしはそのとき、「一生イエス・キリストに従う」という決心がなかなかできませんでした。でも自分はまぎれもなく罪人(つみびと)だと思ったので、罪をゆるして戴いて、永遠の命を得たいと心から思いました。そして右手を挙げてイエス様に一生お従いする決意したのです。

 集会が終わった後、牧師と共に祈り、罪を悔い改めました。祈り終わると喜びがこみ上げてきました。救われたのです。その時の喜びは60年経った今も忘れることができません。  

 実は私が救いの経験をした4ヶ月ほど前に弟が病気で亡くなりました。4歳下の弟でした。病気のため小学校には行けませんでしたが、弟が入院しているとき、教会の婦人会の方々が見舞いに来て、イエス・キリストの話をしてくださいました。弟は「主われを愛す」という讃美歌を覚え、家で治療しているときも、夜中に歌っていました。 

 でもとうとう死んでしまいました。しかし、弟の顔はまるで眠っているようでした。弟の顔を見て私は「弟は天国に行った」と確信できました。そして天国で弟と再会する希望が与えられたのです。